【みながわちかこの3文日記(番外編)】
思わずふふっと頬が緩むコラムを毎月お届けします。
「スイングホールの思い出」
今回は忙しい澤田さんに代わって、私みながわちかこが3文日記の代理を務めさせていただきます。
2022年の8月、コロナが一番酷かった8月に始まったモーニングコンサート。
開催から今月の第20回まで私たちのホームグラウンドとなってくれているスイングホールですが、
実はこのホール。私にとって少々特別なホールなんです。
思い起こせば「うん年前」(もう四半世紀前になるのでは!?)音楽を学びたいという漠然とした進路の中、高校生だった私は、
「音楽大学に行くとしたら何科に行こう?」
「ピアノは好きだけど、手が小さい私には良い選択に思えないなあ」
「では何がやりたいのか・・」
と自問自答しながら、ようやく「作曲」という手段を見つけ、「自分がやりたい音楽はこれかもしれない」と思って音楽大学の作曲学科に入学しました。
音大生時代は素晴らしい先生方や、夢を持っているキラキラした仲間たち、音楽をするにはこれ以上ない恵まれた環境の中、今思えば本当に幸せな時間を過ごし、学問としての音楽はもちろんの事、沢山の経験をさせてもらいました。
それと同時に、ある程度自分の力に自信を持って入学した私でしたが(今思えば世間知らずでお恥ずかしいです。)音楽大学には才能ある人たちが山ほどいて、自分はその他大勢の一人に過ぎないのだと知りました。
音楽の素晴らしさを知ると同時に、音楽で生きていく事の厳しさもまた知りました。
そんな風に、音楽を仕事にしていく事を諦めたり、諦められなかったり・・を繰り返した大学3年の時。ようやく「これで生きていく」と決心をした私は、自分に何かを課したくて、全編オリジナル曲のコンサートを学外で開催しようと決めました。
そして、会場に選んだのが、このスイングホールです。
今のように一か月に一度なんてペースではありません。
それこそ、大学3年生になると同時に構想を練り、曲を作り半年以上の時間をかけてようやく12月
みながわちかこオリジナル曲コンサートを開催しました。
共演者は大学で得た素晴らしい仲間たち。
スタッフとして照明をしてくれたのも、演出をしてくれたのも、信頼する友たちでした。
大学に申請をして楽器をお借りして運搬したり、今思い起こすと、どうやったのだろう・・と思いますが、あの当時は仲間が一役買ってくれて、気が付けば形が整っていました。
知人の居ない楽器は、学校内で演奏を聴いては直談判。図々しくスカウトして出演依頼をして来ました。(これは今の私に役立っているスキル!)
今聞き返せば情けないほど未完成な作品の数々ですが、そんな曲を連ねたコンサートでも、私が一生懸命準備してきたお披露目会だからと、多くの方々が応援に駆け付けてくださいました。このスイングホールの常設椅子では足りず、急遽ホールのスタッフさんが椅子を追加してくださり「開館以来のお客さんの数だ」と言ってもらいました。
中学校時代の先生。小~大学の友人。アルバイト先の仲間一同・・と私を知ってくれている人しか居ないけれど、満員のお客さんに見届けられ、初コンサートを終えました。
今コンサート活動をする中で、お客様にアンケートを書いていただきますが、お客様はとても優しくて、あまり厳しいご意見に出会うことはありません。
これは私が褒められる存在になったからではありません。
今の私は、アンケートに「否」と書かれる前に、もう二度と演奏を聴きに来ていただけない存在です。
それはプロとして皆さんの前に立っているからです。
でも、先程の初コンサートは違いました。私は今と同じく皆さんの前に立ったけれど、友や恩師にとってはまだプロでも何でもない、放っておけない仲間だったのだと思います。
だから、あの日のアンケートは裏面までびっしりと書いてあるものが沢山ありました。
それも褒めてはくれない、「あの曲のここはこうした方がよかった」とか、「転換が長すぎるから、もっと工夫した方がいい」とか愛のあるアドバイスがびっしり。
そして「私も刺激を受けたから頑張ろうと思った」など、同士としての宣言も沢山ありました。
そのアンケートは今でも私の宝物です。
あの時同じ夢を追いかけた仲間たちの全てが、今音楽を続けている訳ではありません。
私は毎回スイングホールに来る度、あの日の自分や友に恥じないよう、初心を忘れずにまた頑張ろう、と自分に言い聞かせています。
そんなスイングホールで、これからは3ヶ月に一度開催となるモーニングコンサート。
リニューアルしてからも引き続き応援よろしくお願いします!
作曲・編曲・ピアノ みながわちかこ